思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

動物の感じる苦しみ

 人間には、快や幸福などのプラスの感覚もあれば、苦しみといったマイナスの感覚もあります。快や苦は、人間が行動する上での根本的な動機になります。進化の過程で、行動原理として快や苦を身に着けてきました。

 

 生存や繁殖に望ましいような行動には基本的に快が伴います。例えばエネルギーになる脂肪や糖質が入った食べ物はおいしく感じます。私たちはいつでも快や喜びを求めるので、おおよそのところ生存や繁殖に有利になるように行動していることになります。

 

 また、生存が脅かされるようなことには、苦しみや恐怖などを感じるようになっています。捕食者に追われれば恐怖を感じ、しばらく食事をしないと空腹に苦しみます。こうした感情によって、飢餓などの望ましくない状態を回避するようになります。

 

 

 ただもしかすると人間には快と苦の両方ではなくて、快などのプラスの感覚だけ、あるいは苦などのマイナスの感覚だけしか存在しなかったかもしれない、と考えられるような気がします。

 

 例えば、苦の感覚がなく快だけしかないという場合を想定してみます。このとき、普段から常にそこそこの快や幸福感を感じているとします。そして、飢餓や病気など、本来であれば苦しみを感じるときに、快や幸福感が普段より小さくなるとすると、苦しみが存在する場合と同じような機能が働き、その行動を回避するようになるはずです。快の減り方が大きければ、すぐにでも快が元に戻るように行動するでしょう。快や幸福感が減少することが、苦しみの代わりの役割をするということです。また、食事など本来であれば快を感じるときには、普段よりも大きな快を感じる、ということになります。

 

 逆に、快がなく苦しみだけがある場合も考えることができます。この場合、常に一定の苦しみを感じており、苦しみが減ることで本来の快の役割を、苦しみがより大きくなることで本来の苦しみの役割を果たすことになります。

 

 苦がなく快だけしかない場合を考えると、人間もそうだったらいいのに、と思えます。一方、苦だけしかない場合を考えると、人間には快があるだけよかった、とも思えます。

 

 

 

 人間には快と苦の両方がありますが、動物も人間と同じような仕組みになっているのでしょうか。生物学などの専門知識を基にするわけではなく、あくまで推測でしかありませんが、他の動物の中には、人間とは快苦の仕組みが大きく違っているものもいるように思えます。

 

 もしかすると苦がなく快などのプラスの感覚のみを感じている動物がいるかもしれません。もしそうだとしても何も問題はないでしょう。ただ、逆に快がなく苦だけを感じている動物がいるかもしれないとも考えられます。

 

 この例は少し極端かもしれません。ただ、人間と同じように快や苦があっても、その快や苦の大きさが人間とは大きく違うということは、十分にあり得ることです。多くの人間が感じている快や苦の大きさは、それほど必然的に定まったものではないかもしれません。ある種類の動物は人間が感じるよりも大きな苦しみを感じているはずです。

 

 もし、苦しみが大きくなればなるほど、よりその状況を避けるようになるとするならば、単純に考えると、苦しみが大きければ大きいほど生存に有利に有利に働くことになります。人間の場合は、単純に苦しみが大きいほど生存に有利というわけではないのかもしれませんが、無数に存在する動物の中には、そのようなことでとてつもなく大きな苦しみを感じているものがいるかもしれません。