思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

幸せや苦しみを金額に換算して政策を考え直す

 政治の世界では経済的な損得は重視するが、人が幸せになれるか、大きな苦しみを避けることができるかということについては軽視される傾向があるように思える。GDPが上がったか下がったか、財政が赤字か黒字かなどは、よく話題になる。そういった経済や財政に関することは、数値として表されていて分かりやすい。一方で、国民が幸せかどうか、苦しんでないかどうかということは、あいまいで直接目に見えるものではない。そのため、どうすれば経済が活性化するかということはよく考えられているが、どうすれば人が幸せになれるか、どうすれば苦しまなくなるか、という根本的なことは意外と話題になる機会が少ない。

 

 そこで、人の幸せや苦しみを金額に直すことで、その幸せや苦しみを可視化してみることにする。金額に換算する基準は、一定量の幸福(苦しみ)があるとして、個人がその幸福を得られるならばいくら払うか、苦しみを避けることができるならばいくら払うか、というものだ。

 

 ある政策によって国民が幸せになれる、または苦しみを避けることができるとして、国民の幸福や苦しみが換算された金額の合計が、その政策を実行するのにかかるコストを大きく上回るならば、その政策は実行すべきということになる。

 

 この考え方を採ると、実行されるべき政策が実行されていなかったり、逆に大して必要もないような政策が実行されていたり、ということに気づきやすくなる。

 

 

 例として、メンタルヘルスについて考えてみる。現代には精神的な苦しみを抱えている人が多くいる。個人個人からしてみると、経済が活性化するかどうかよりも、そういう悩みや苦しみを避けることの方によっぽど関心がある。深く悩み苦しんでいる人の中には、もし苦しみから逃れることができるならば、数百万、数千万円のお金なら借金してでも出していいという人も多いはずだ。例えば重度のうつ病の人などは、私たちが想像している以上に苦しんでいて、数千万円もの大金を払う人がいてもおかしくない。

 

 ある人が苦しみから逃れるために1000万円払うとするならば、その苦しみはその人にとって1000万円分の苦しみであると見なすことができる。一人当たり100万円の経済的損失を数万、数十万人単位で受けるような出来事が仮にあったとすると、それは大ニュースだが、1000万円分の精神的苦しみを数百万人が受けていたとしても誰もそれを取り上げようとはしない。

 

 ただ国が国民の精神的な苦しみを減らす、ということはそう簡単なことではないかもしれない。それでも、あまり議論がされていない分、考えるうちに新たな政策が出てくるはずだ。

 

 

 例えば、学校教育にメンタルヘルスの授業を取り入れることができるのではないか。現在でも、保健体育の授業で扱っているかもしれないが、回数はかなり限られているだろう。保健体育の授業の中でメンタルヘルスの割合を大幅に増やすか、あるいは独立した科目として月に1回くらい「メンタルヘルス」の授業があってもいいように思う。中学、高校というのは多感な時期で、精神的につらい思いをしている人も多い。だから意外と興味を持って真面目に授業を受けるかもしれない。専門的な見地から、生活習慣、心の持ち方、つらい出来事への対処法、メンタルを鍛える方法など、授業で扱うことのできる内容は意外と多い。

 

 個人的に私は少し前から、メンタルヘルスに関することを簡単に学んで、メンタルを強くするように意識してきた。実際これによってかなり精神的に安定するようになった。メンタルヘルスに関する知識は、これまで学んできた他のどんなことよりも役に立っている。ほんの少しでもメンタルが鍛えられるなら十分に価値がある。

 

 「メンタルヘルス」の授業によって一人当たり年間で平均1万円分の苦しみを回避することができるとする(年間1万円というのはこの記事を読んでいる人に納得してもらえるような額であって、個人的にはもっと効果があると思っている。私がこれまで得たメンタルヘルスの知識は私にとっては年間10万円払うくらいの価値がある)。この授業が導入されてしばらく経ち、1000万人が授業を受けたとすると、年間で1000億円分の精神的損失を回避することができる。月1回の授業でこれだけの効果が得られるならば、やらない方がおかしい。

 

 

 今回は、メンタルヘルスを例に出して考えてみたが、幸せや苦しみを金額に換算するという方法で、他にも考え直すべき政策が見つかるはずだ。いろいろ考えてもいいかもしれない。