思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

心のケアの分配と「富の再分配」

 精神的に打たれ強い人は、少し落ち込んでいたとしても慰めてもらいにくい。逆に精神的に弱い人は、慰めてもらったり気にかけてくれることが多い。メンタルが弱い人は強い人よりもより苦しい思いをしているわけだから、メンタルが弱い人がより気にかけてもらうのは自然なことだ。メンタルの弱い人が常に気にかけられてしかるべきだろう。

 

 ただ一方で、メンタルの弱い人ばかりが同情してもらえるというのは、メンタルが強いことが推奨されていないということでもある。メンタルの弱い人ばかりが気遣ってもらって、精神的に強い人は気にかけてもらえないために、精神的に強いことが大して得にならなくなってしまう。精神的にあまり強くない人は、人に気にかけてもらえるという恩恵を得られるが、精神的に強い人はその恩恵を得られにくいからだ。もちろんメンタルが強いのと弱いのとでは、強いほうが得だろう。しかし、メンタルが強いことと弱いこと自体から得られる利益と損失を除いて考えると、メンタルが弱いほうが得したことになっている。

 

 本来、精神的に強く、ストレスにうまく対処できることは、だれもが望んでいることであって、もっと推奨されてもよいことだ。ストレスに強い人が、ストレス耐性があること自体による恩恵以外にもさらに別の恩恵を受けることができるならば、ストレス耐性を身に着けることのさらなるインセンティブになる。しかし実際には、メンタルが弱ければ弱いほど気遣ってもらえて得をする、という逆方向の働きを持つ。

 

 ここで言っている精神的に強いというのは、どんな困難でも跳ね返すような鋼の心をもつというような意味では必ずしもない。ストレスとうまく付き合ったり、ネガティブになりすぎないようにするといったような意味だ。こういう意味での精神的な強さは、意識的に生活したり精神的に強くなる方法を学ぶことで少しづつでも身についていくだろう。もっと多くの人が、こうした精神的な強さを身につけるように努めたほうが、もっと楽に生きられる社会になるはずだ。そうだとすれば、こうした精神的な強さを身に着けることで、それ自体から受ける利益以上の利益が得られるようになり、多くの人がその強さを身に着けるようになればよいだろう。

 

 もし人が、悩んでいる人にいくらでも気遣うことができるなら、メンタルの弱い人にはこれまでと同じように慰めて、メンタルの強い人にもメンタルの弱い人にしているのと同じくらいに慰めればいいだろう。しかし、他人に対する同情に限界がある場合はどうだろうか。実際は、いくらでも人に気遣いをするということには限界がある。仮にこうした他人への心のケアの量は一定であるとして、その心のケアを精神的に強い人、弱い人にどういう比率で分配すればよいだろうか。

 

 

 この問題は、経済や政治の世界で常に議論されている「富の再分配」の問題と似ている。例えば、累進課税によって高所得者の所得の一部を低所得者に再分配することで、貧富の格差を緩和したりする。富を高所得者低所得者にどういう比率で分配するかということは常に話題に挙がる問題だ。

 

 もし高所得者に対する課税額と低所得者に対する課税額が大して変わらないとすると、貧富の格差が解消しないどころか、ますます格差が広がってゆくだろう。より生活に困っているものに対して、優先的に経済的な配分がなされることは必要なことだ。

 

 逆に、高所得者に対して過剰に課税してしまうのは不公平感がある。高い所得に対して多くの課税がされてしまうと、多くの所得を稼いでも税が多く取られてしまうため所得を多く得ようという意欲が生まれにくくなってしまう。本来、所得が高いことは本人にとっても社会にとっても望ましいことのはずだ。高所得に過剰に課税するのは、その望ましい状態をある意味社会が推奨していないことにもなる。

 

 

 富をどう再分配するかというのに確定的な結論は出ていない。それと同じように、心のケアの分配をどうするかというのも答えるのが難しい。ただ、精神的に弱い人の心のケアをするのと同時に、精神的に強いことがその心の強さ自体から得られる利益以上の利益になるようにならなければならないだろう。

 

 

 ちなみに、このような話は他にもある。例えば、風邪をひいたら仕事や学校を休むことになる。風邪をひくのとひかないのとでは、もちろん風邪をひいたほうが大変な思いをする。ただ、風邪のしんどさを除いて考えれば、仕事や学校を休めるわけだから、その分だけ得をする。風邪をひくことで得をするのであれば、風邪をひかないように体調管理を気をつけようとする気持ちが起こりにくくなってしまう。風邪をひかないことはだれにとっても望ましいことだ。風邪をひかないように常に体調に気を使っている人は、休む人を見て少し不公平感を覚えるかもしれない。

 

 もちろん、だからと言って風邪をひいたら治るまで休まなければならないし、多くの風邪は防ごうと思ってもなかなか防ぐことができるものではない。ただ、風邪をひかないというすべての個人にとって望ましいことを推奨するのとは逆方向の働きがあるということは指摘できる。