思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

外国人を受け入れることによる戦争抑止力

 他国からの武力攻撃を未然に防ぐためには、さまざまな方法があります。その中で最もよく知られている方法は、軍事力によって抑止するということでしょう。ある国が強力な軍事力を持っていると、他国がその国を攻撃すると報復として反撃されるから、攻撃できなくなるというものです。ただ、別の平和的な手段を用いることで、必要な軍事力が少しでも減らせるならば、当然その方がよいでしょう。


 そこで、他国からの攻撃を、少しでも減らせるかもしれない、という方法を考えつきました。



 その方法は、移民や観光といった形で他の国や民族の人々が入国してくるのをある程度受け入れるようにする、というものです。通常であれば外国人を入国させるのには一定程度制限をかけますが、その制限を緩めることである程度外国人を受け入れます。さまざまな国や民族の人々がいた方が、他国から攻撃されにくくなるというものです。

 

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 A国とB国というお互いに関係が非常に悪く、両国の間で今にも戦争が始まってしまうかもしれない、という国があるとします。B国はある理由で、A国を攻撃しようとしています。このとき、A国の中に、B国の国民がいるという場合を考えてみます。この場合では、A国内にB国民がいないときと比べると、B国はA国を攻撃しにくくなるのです。A国を攻撃すると、B国民までもが被害を受けてしまうかもしれないからです。特に空爆やミサイルのような遠距離の攻撃であれば、B国民がA国内のどこにいるのか確認できないので、A国民だけでなく、B国民にも、意図せずに攻撃を加えてしまう場合があります。B国としては、同じ国の人間を、自分たちが攻撃してしまうというのは、通常の民主主義国家ならば容認できることではありません。B国内でも、自国の攻撃に対する批判が湧いてくるでしょう。

 どの国も、元々関係の悪い国の人々を、あまり受け入れないようにする、という傾向があるかもしれませんが、むしろ関係の悪い国の人ほど積極的に受け入れた方が、少しでも攻撃を抑止することができるかもしれません。
 

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 また、A国内に、A国やB国とは別のC国、D国、E国・・・という第三国の人々がいる場合も、A国はB国からの攻撃を受けにくくなると考えられます。

 仮にB国がA国を攻撃したとします。A国内にC国民やD国民などの第三国の人々がいない場合であっても、多くの第三国の国々は、B国がA国を攻撃した理由などによって大きく変わりますが、B国に対してある程度の非難を浴びせるようになるでしょう。

 A国内に第三国の人々がいる場合を考えると、B国の攻撃によってA国内のC国民が犠牲になる可能性が出てきます。仮に、C国民が犠牲になった場合、C国民がA国にいない場合と比べて、激しくB国を非難するはずです。本来であればB国の攻撃を支持するところが、自国民が犠牲になったことで、B国の攻撃を非難するようになるかもしれません。そうなると、B国の国際的な立場はさらに弱くなってしまいます。 特に、B国がC国と深い関係を持っている場合には、その関係が悪化することで、B国は損害を受けるかもしれません。

 日本のメディアでは、海外で災害や大規模な事故が起こった場合、日本人の安否が報道されます。そして、日本人が被害に遭ったか遭わないかによって、その出来事の取り上げられ方が大きく変わってきます。日本人に被害がなければほとんど扱われないようなことでも、日本人に被害があれば大々的に報道されます。それは、海外での戦争も同じようにあてはまるでしょう。もし日本人が被害に遭えば、多くの日本人が関心を持つようになり、非難の声が大きくなるはずです。

 

 実際の歴史上では、第三国の国民が被害を受けたことによって、攻撃した国が不利な状況に追い込まれるということがありました。それは第一次大戦中のイギリス、ドイツ、アメリカの間で起こった出来事です。(ここでは、A国=イギリス、B国=ドイツ、C国=アメリカ、となります。)第一次大戦中、ドイツはイギリスに対抗するため、無制限潜水艦作戦を実施しました。これは、連合国へ向かう船舶を、中立国の船舶も含めて、ドイツの潜水艦が無警告で攻撃するというものです。この作戦の際に、あるイギリス客船が撃沈され、その客船に乗っていたアメリカ人128人が犠牲になる、という事件が起こりました。この事件によって、アメリカ国民の反ドイツ感情が急速に高まっていきました。当時アメリカは中立国でしたが、これをきっかけとして連合国側に加わり、結果としてドイツは敗戦することになります。この事件ではドイツに抑止力は働いていませんが、第三国のアメリカ人に被害を与えてしまうことによって、ドイツは不利な状況に追い込まれていったということがよく分かります。

 
 このように、第三国の人々にも被害を与えてしまった場合、国際世論の反発がさらに大きくなるため、攻撃することがより難しくなるでしょう。

 

 

 もし仮に、ここまで述べてきたような抑止力がある程度の影響力を持って存在するのだとしても、このような抑止力は表立っては見えてこないでしょう。これまで歴史上で、本来なら攻撃するはずだったが、この抑止力が働いたことによって攻撃しなくなった、ということがあったとしても、そのことが世間に知れることはあまり考えられません。そのため、この抑止力は表には出ないものですが、実は大きな力を持っているかもしれません。

 

 上で挙げた第一次大戦中のドイツの場合、結果として抑止力は働きませんでしたが、当時のドイツ政府内では皇帝ヴィルヘルム2世をはじめとして、国際世論を懸念して無制限潜水艦作戦に慎重な声もありました。したがって、このとき抑止力が働いた場合も考えられなくはないのです。この場合はたまたま抑止力が働かなかったため、アメリカ人が犠牲になりアメリカが参戦するようになる、ということが目に見えた形で分かります。一方で抑止力が働いたとすると、そのことは表立っては来ません。そのため、これまでの歴史上こうした抑止力が働いた場面が何度もあったかもしれません。

 


 ここでは国民という単位で考えましたが、それを民族や宗教、文化、人種などに置き換えることもできます。同じ民族や宗教の人々はより同族意識が強いので、その同じ民族や宗教の人々がいる地域には攻撃を加えにくくなります。また、もし同胞が攻撃による被害を受けたならば、その攻撃を非難するようになり、その地域は攻撃されにくくなるでしょう。

 

 

 このように、さまざまな国から多種多様な人々を自国に受け入れるようにすれば、他国からの攻撃に対する抑止力を働かせることができるでしょう。

 


 多くの国がこうした抑止力を用いることで、少しでも軍事を縮小することができるならば大きな利益になるでしょう。しかし、一部の国が、他国に対して明らかに非合理な攻撃をすることがあります。そういった国に対して、やむを得ず攻撃しなければならないことがあるでしょう。その国が、ここで挙げたような抑止力を用いることで、攻撃が加えられづらくなるならば問題です。

 しかし、他国に対して非合理な攻撃を加えるような政治的に未成熟な国は、この抑止力をほとんど用いることができないでしょう。なぜなら、そのような国は、政治の不安定さから、ほとんど外国人が来ないからです。多くの人は政治的に安定した信頼できる国に行くはずです。また、おおまかな傾向として、政治がある程度成熟している国は、経済水準も高い傾向にあり、多くの外国人がやってきます。そのため、民主主義が行き届いていないような未成熟な国ほど、その抑止力の恩恵を受けることができません。そういった点からも、この抑止力は理にかなっていると言えるのではないでしょうか。

 

 

 移民政策に賛成するにしても、反対するにしても、ここで述べてきたことは、そう言った問題について考える上での一つの要素になるでしょう。

 

 

 

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