思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

人は幸福を強く望んでいるようでそこまで望んでいないように思える

 一般には、幸福というのは人間の究極の目的だと考えられています。どのような行為の目的も、さかのぼれば根本には幸福になりたいという欲求があるとされます。例えば、なぜ働くのかと言えば、お金を稼ぐためであり、なぜお金を稼ぐのかと言えば、生活に必要なものを買うためであり、なぜ生活に必要なものを買うのかというと、幸せになるため(不幸にならないため)である、といった具合です。

 

 お金持ちだが不幸なのと、貧乏だが幸福なのではどちらがいいかと言われると、明らかに後者の方がいいでしょう。(前者の方がいいと考える人もいるかもしれませんが、前者の苦しみ、あるいは後者の幸福感を実際にありありと感じたならば、後者の方がいいと思うようになるはずです。)このことから、お金より幸福の方が、人生にとってより優位な段階にあると考えることができます。また、このお金という部分に他の様々なことを当てはめることができます。(自尊心は満たされるが不幸、家庭はあるが不幸、健康だが不幸、など。)基本的にどのようなことを当てはめても、後者を望むようになるはずです。それだけ人間にとって幸福はどんなことよりも重要なことだと言えるのではないでしょうか。

  

 だれもが幸せになりたいと考えているのは確かなことでしょう。当然私も苦しみはできるだけ味わいたくはないし、幸せになりたいと思っています。ほとんどの人は、自分の幸福を最も重要なことだと考えているはずです。

 

 

 しかし、幸福が人間の究極の目的であるにしては、幸福について日ごろから考えている人は少ないように思います。日常的に触れる出来事に関することはよく考えますが、幸福については普段あまり気にしていません。誰かと会話するときに、日常的な些細なことについてはよく話題に上がるけれども、最も重要なことであるはずの幸福については、めったに話しません。

 

 私たちの普段の態度からは、幸福になりたいという思いを、強くは感じることができません。それに対して、仕事や家事など日常的にしなければならないことには真面目に取り組みます。また、欲求やあることをしたいという思いは、普段から強く感じられます。欲と幸福は大きく関係しているでしょう。欲が満たされなければ苦痛を感じ、幸福を得られないからです。しかし、当然のことながら、欲が満たされることと幸福であることはそれぞれ異なる事柄です。幸福については特段考えず、自分の欲求やしたいことを求めたり、自分の立てた目標を達成しようとする人生と、幸福を目指して生きる人生が、完全に一致するわけではないでしょう。

 

 「幸せになりたいか?」と聞かれると、誰もが「幸せになりたい」と答えます。私たちは頭の中では、「幸せになりたい」、「幸せは人生の究極的な目的だ」といったように考えているということです。しかし一方で、多くの人は日常生活では幸福についてはあまり意識せずに過ごしています。

 

 それは、頭の中では、幸せになりたいと思っているのに、実際の生活では、その幸せになりたいという思いがほとんど反映されていない、と言えるのではないでしょうか。また、自分の人生の究極的な目的は幸福である、と論理的には認めていたとしても、実生活では意識的にその究極的な目的を達成しようとしていない、とも言えるでしょう。さらに言い換えると、幸福という究極の理想を持っているけれども、幸福になるための工夫などはあまり考えようとはしていません。個人的な経験からも、この人は本当に幸せになりたいのだろうか、と疑問を抱くような人に出会うこともあります。でも、その人も当然幸福になりたいはずです。

 

 なぜこのようになるのかについては、以下のように考えられるのではないでしょうか。人間を生物としてみると、その場その場での快を求めたり、苦しみを回避したり、欲や自分が直観的に望むことをそのまま求めたりすることは、生きる上で必要なことだったかもしれません。しかし一方で、幸福というものの性質を分析し理解して、人生全体の幸福の総量を増やそうとする必要はなかったでしょう。

 

 

 頭では、幸福になりたいとうことを認めているのだから、もっとそうなるための方法を考えたり、工夫したりするべきです。何も考えずに生きるよりは、幸福になるにはどうしたらいいのか考え、実践して生きた方が幸せな人生を送れるはずです。

 

 ここで言っている、幸福になるための方法や工夫というのは、いい大学に入学するとか、まじめに働いて出世する、いい恋人を探して結婚する、といった具体的な目標を実現しようとすることを指しているわけではありません。幸福という観点から見たら、こうした目標を実現しても、かえって不幸を呼ぶこともあります。いい大学に入って不幸(いい大学に入ることによって得られる自尊心なども含めて不幸ということです。)なのと、いい大学に入れなくて幸せなのとでは、ほとんどの人は後者の方がいいと思うはずです。自分の憧れやしたいと思ったことなどをそのまま求めるのではなく、幸福そのものに焦点を絞って、もっと意識的に幸福を得るように行動した方がいいように思います。

 

 

 今ここで言っているのは、例を挙げると、幸福というものがどのような性質を持つのか理解したり、幸福になるための心の持ち方や、幸福に関する医学的知識(例えば、セロトニンと言われる神経伝達物質は幸せホルモンと言われています。)を身に着けたりする、といったことなどです。そして、そうした知識を生かしながら、自分の人生の幸福の総量を最大化するように意識して行動する、ということです。

 

 不幸な人生より、幸福な人生の方がいいに決まっています。もし、幸福というものを意識して行動することによって、幸福の総量を増やすことができるならば、当然そうした方がいいはずです。

 

 そうなると、実際にそうすることによって幸福になれるかどうかが重要な問題になります。私の個人的な経験では、意識して幸福を増やし苦しみを減らそうと行動することで、今のところは実際により幸福になれていると思います。その具体的な方法や工夫はここでは触れないことにします。いつか扱うと思います。ただ、人それぞれ性格や環境に違いがあると思うので、自分に合った工夫や方法があるでしょう。自分でどうすれば幸せになれるのかを考えるのが重要だと思います。