思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

若者と高齢者の構造的な利益の不均衡

 人間は現在の利益を最優先する傾向があります。また現在の利益よりは優先度は低いですが、将来もいずれ来る未来なので、当然将来の利益も考慮に入れることになります。将来の利益を得るために努力するよりも、今の利益を得るためにより努力します。そして、未来が遠ければ遠いほど優先度は低くなります。

 

 若者にとって、若い時期は今まさに過ごしている時期なので、他の時期よりも今の若い時期の利益を最も重視するでしょう。また中年あたりのころの利益もある程度は重視し、老後の利益も多少は考えるでしょう。中年の人たちも当然今の利益を最優先します。そして今現在の利益ほどではないが、老後の利益もある程度重視します。また、高齢者も今の利益を最優先します。

 

 ただ、当然のことですが、人間は将来の利益を考慮することはあっても、過去の利益を追求することはありません。中年の人たちは過去の若いころの利益を、高齢者は若いときや中年のころの利益を考えようとはしないのです。

 

 このことから、人生のより後の時期ほど多くの人に利益が追求される、ということが言えます。単純に、人間は合理的に自己の一生の利益を求める、という性向のみを考慮すると、誰もが今の利益だけでなく老後の利益も求めます。一方で、高齢者は今の老後の利益のみを求めます。人間全体ではそれぞれの時期の利益がどれだけ求められているかを考えると、単純に世代ごとの人口がおおよそ同じだとすれば、若い時期の利益より中年ごろの利益、中年ごろの利益より老後の利益がより考慮されることになります。

 
 
 このことは、特に政治などにおいて、世代ごとの利益の不均衡につながるかもしれません。政治においては例えば、若い時期には雇用や子育て、老後には年金や医療政策などが利益につながるでしょう。若者は雇用や子育てだけでなく、年金や医療政策からもいずれ恩恵を受けることなので、こうした制度もある程度重視します。一方高齢者は、基本的に雇用や子育てに関する政策によって自己の利益を得ることはないので、自然とそのような政策を軽視するようになるでしょう。
 
 ここで、ある一人の人間に一定の財源が渡されて、人生の時期ごとにその財源を、人生全体で満足できるように適正に振り分けていくということを考えてみます。その人には特定の年齢があるわけではなく、それぞれの時期を客観的に公平に判断できるとします。そうすると例えば、若いときは子育てが大変だからそこに多く財源を割いたり、中年の時期は安定しているから少なくしたりなどとなります。ここでは、世代ごとの利益の分配が適正になされています。大まかには、ここでなされた配分と実際の政治での配分は同じような傾向になければならないように思います。
 
 しかし、後の時期の利益がより考慮されるという性質によって、そのような世代ごとの適切な配分がなされないかもしれません。国民全体の個々の要望を足し合わせたものをそのまま政治に反映させ、要望が強い事柄ほど多くの財源を割くということをしたとしても、この性質によって構造的に世代ごとの利益に不均衡が生じてしまうのです。それぞれの時期が適正に比較されなければならないはずが、老後のような後の時期ほどより考慮に入れられ、公平に判断されないということです。
 
 ただ、実際の政治において若い世代ほど利益が得られていない、ということを主張しているわけではありません。ここで述べたことは、人間は自己の利益のみを追求するという要素のみを考慮して理想化して導き出された結果です。この自己の利益のみを追求する性質が働いてもなお、他の複雑な要素が原因となって、現実にはむしろ高齢者の世代の方が若者より利益を得られていないということがあるかもしれません。
 
 いずれにしても、政治においてはこうした性質も考慮に入れたうえで、国民の求めることを政策に反映させなければならないように思えます。