思考志向

『「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」』という記事を読んでみてください。

「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」

 

 これから、「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」というものについて書こうと思う。これらの苦しみは、抽象的に考えられうる苦しみの最悪のパターンとして想定されるものだ。


 まず、無限の苦しみの「無限」という言葉は、比喩的にとても大きいといった意味ではなく、ここでは数学で使うような無限大、という意味だ。また、「有限の限りなく大きな苦しみ」というのは、無限ではないが、今まで人間が感じてきたどんな苦しみよりもはるかに大きいような非現実な有限の苦しみ、ということを指している。

 
 このように言われてもあまりイメージしづらいかもしれない。これから、「無限の苦しみ」と「有限の限りなく大きな苦しみ」という抽象的で実体がないように思えるものが、もしかすると、現実に生じているようなどんな苦しみよりも、私たちにとってより大きな問題であるかもしれない、ということを示していこうと思う。

 

 

 

無限の苦しみ

 
 まず、仮にある人が「無限の苦しみ」を味わっているとすると、誰もが認めるように、それはすぐに解決しなければならないような問題だ。無限の苦しみは想像を絶するものだろう。無限ということは、この世に存在するどんな苦しみも比べ物にならないということだ。どうすればその人から無限の苦しみを取り除くことができるかについて世界中で考えられるようになるはずだ。

 
 ただ、実際にはこのようなことが起こるとはほとんど考えにくい。無限の苦しみというのは、これまで一度も存在したことがなさそうなものであり、非現実的に思える。苦しみは通常の感覚では有限しかありえず、無限になるというのは、物理的にありえないことのはずだ。こうしたことが起こる可能性を考えるのは、一般的な直観ともかけ離れており、無視してもよいことのように思える。


 「無限の苦しみ」というものは、非現実的だが人間がそれを味わった時の影響が果てしなく大きいという意味で、ディストピアなSFと似ている。例えば、核戦争で地球が破滅したり、人間が宇宙人の奴隷になったり、などである。こうした話は、いくら恐ろしいことだとしても、差し迫った問題ではないということで、実際にそういった出来事が起こることを真面目に想定し対策するということはない。一方で、「無限の苦しみ」の場合は、そうしたSF的なものとは根本的に異なり、いくら非現実的だとしても人類にとって急迫の最重要問題である、ということをこれから示したい。
 
 
 まず、「無限の苦しみ」が起こりそうもない、という感覚は十分に理解できる。具体的に、どのような状況で、何がきっかけでそうしたことが起こるのか、という例はほとんど思い浮かばない。

 
 ただ、誰かが将来、無限の苦しみを被ることになる確率は完全に0である、ということを示すことはできるだろうか。これは少し難しいことのように思える。

 
 無限の苦しみが起こらないことを示すことはできない、というわけではない。実際、無限の苦しみというのは原理的に起こりえないと考える方が、起こると考えるより、よっぽど自然なことだ。少なくとも今のところは無限の苦しみが起こりえないと示す完全な証拠がない。そのため、誰かが無限の苦しみをこうむる確率は、限りなく0に近いが0よりは大きい、とみなすことにする。

 

 ここで、ある人が受ける苦しみの値をX、その苦しみを受ける確率をPとして、このXとPを掛け合わせた値Aについて考えてみる(A=XP)。

 
 まず、有限の苦しみの場合で、Aの値を考える。ある人が、1%の確率で100の苦しみを受け、残りの99%の確率では苦しみを受けない、という状況があるとする。この場合、Aの値は、 A=100×1/100=1 となる。

 
 この場合で受けると想定されている苦しみは、おおまかに言って、100%の確率で受ける1の苦しみと、同じ程度だと見なすことができる。なぜなら、この場合のAの値も、  A=1×1=1 となり、上に挙げた場合のAの値と等しくなるからだ。1% の確率で100の苦しみを受けるのと、確実に1の苦しみを受けるのは、同程度の規模であると言える。

 
 無限の苦しみについても、同様にして考える。

 

 先ほどのように、誰かが苦しみをこうむる確率を、限りなく0に近いが0よりは大きい、と考えるならば、

 

X→∞、P>0 なので、

 
 A=XP→∞

 
となる。

 
 無限の苦しみということを想定すると、いくら起こる確率が小さく、ほとんど0に近いものであったとしても、それが0でない限り、Aも∞になる

 
 この結果をどう受け取ればよいだろうか。

 
 Aの値は、そのPの確率で受ける苦しみが、確実に受ける場合に置き換えられた時のおおよその苦しみの量だとすることができる。例えば、1%の確率で受ける100の苦しみは、A=1だが、確実に受ける1の苦しみと同程度の苦しみであるとみなすことができる。

 
 同じように考えると、0より大きな確率で起こる無限の苦しみは、Aが∞なので、確実に起こる無限の苦しみに置き換えられる。実際、無限の苦しみが100%の確率で起こるとしたとき、Aの値は、確率がほとんど0に近い場合と同じ∞となる。誰かが無限の苦しみを受ける確率が0ではないということは、確実に無限の苦しみが起こる場合と同じくらい深刻な問題だ、と解釈することもできるのだ。

 

 また、1000の苦しみという耐え難い苦しみがあり、さらにそれが確実に起こるする。その場合、 A=1000×1=1000 となる。しかし、1000は∞と比べると、0に等しい。1000が1億であっても1兆であっても同じことだ。拷問で受けるような凄まじい苦しみがどうでもよくなるほど、無限の苦しみは恐ろしいということを意味しているかもしれない。

 
 Aの値が大きければ大きいほど、その苦しみをより防がなければならない、という価値基準があるとする。これは功利主義的な価値観だと言えるだろう。多くの人間は、厳密にではないにしても、このような価値基準を受け入れているはずだ。例えば、50%の確率で起こる10の苦しみと、1%の確率で起こる1000の苦しみがあるとすると、Aの値はそれぞれ5と10だ。後者の方がAの値が大きいので、後者の苦しみをより警戒し、その苦しみを受けないように対策するだろう。日常生活でも、無意識のうちにこうしたおおまかな計算をして比べていることが多いだろう。

 

 この功利主義的な価値観を受け入れるならば、誰かが無限の苦しみを受けるかもしれないということは、他のどんな有限の苦しみより重大な問題だ、ということになる。

 

 通常の感覚では、無限の苦しみという実体のなさそうなことではなく、今実際に生じているような苦しみが考慮に入れられる。しかし、以上のように考えると、そういったほとんど現実味のないことを考慮に入れなければならない、ということになってくる。

 

 


 有限の限りなく大きな苦しみ

 
 今度は、「有限の限りなく大きな苦しみ」について考えてみる。これは、これまで人間が実際に味わってきたどんな大きな苦しみよりも、はるかに大きな有限の苦しみのことだ。ただし、あくまで有限なので、無限の苦しみとは根本的に異なる。イメージとしては、ある個人が味わったこれまでの人類の歴史上に存在した最も大きな苦しみが 仮に100万だとすると、「有限の限りなく大きな苦しみ」は、例えば1兆であったり1無量大数などだ。

 
 無限の苦しみの場合は、まず、苦しみが無限になるということが原理的にあり得るのかどうかが問題となる。もし、無限の苦しみは起こり得ないということを示すことができたなら、この問題は解決するだろう。

 
 一方で、有限の限りなく大きな苦しみというものは、現実にはありそうもないが、有限なので、少なくとも原理的には起こり得ることだ。

 

 無限の苦しみのAの値を考えたのと同じように、この有限の限りなく大きな苦しみのAの値を考えてみる。ある苦しみの値をX、誰かがその苦しみを受ける確率をPとすると、そのAの値は、A=XPとなる。

 
 有限の限りなく大きな苦しみについて考えた場合、Xは非常に大きな値になる。一方で、そうした大きな苦しみは確率的にはほとんど起こり得ないため、Pは非常に小さくなる。「無限の苦しみ」の場合は確率が0か、あるいは0より大きいか、というのは議論の余地があるが、「有限の限りなく大きな苦しみ」の場合は、その確率Pは限りなく小さいが0よりも大きいことは確実だろう。

 

 このときAは、確実に無視できるほど小さい値になると言い切ることはできるだろうか。Aは、非常に大きな値と非常に小さな値を掛け合わせたものであるため、ごく小さな値に収まるかもしれないが、一方で、Pの大きさによっては、非常に大きな値になる可能性もある

 

 ここで、(有限の限りなく大きな苦しみではなく)現実に生じているような通常の苦しみを受ける確率を考える。このとき、大まかには、苦しみの値が小さいほど、それを受ける確率が高く、苦しみの値が大きくなるほど、その確率は低くなっていく、と考えられるはずだ。例えば、切り傷を受けた時に感じるような痛みはよく起こるが、骨折をした時に感じるような痛みは頻繁には起こらない。このように、小さな苦しみほど受ける頻度が高く、大きな苦しみほど受ける頻度が低くなるだろう。

 
 では、今度は、「有限の限りなく大きな苦しみ」の起こる確率を考える。このとき、その確率は非常に低くなるだろう。そして、先の場合と同じように、苦しみの量が大きくなればなるほどほど、その苦しみの起こる確率は小さくなっていくはずだ。

 
 ただ、「有限の限りなく大きな苦しみ」の場合は、その苦しみが増えていっても、苦しみが増えた割合ほどにはその確率は小さくならないのではないだろうか。

 
 経験的に通常の苦しみの場合は、苦しみXが10倍になれば、確率Pもおおよそ1/10かその周辺に収まる場合が多い(1/5、1/10、1/30など)。例えば、切り傷の痛みが10、骨折の痛みが100とすると、骨折する確率は、切り傷を受ける確率のおおよそ1/10かそれより小さいくらいになるだろう。

 
 一方で「有限の限りなく大きな苦しみ」の場合は、苦しみXが10倍になっても、確率Pは1/10倍ほどにはならないはずだ(1/2倍、1/3倍など)。例えば、1不可思議(10の64乗)の苦しみと、1無量大数(10の68乗)の苦しみを想定する。1無量大数は1不可思議の10000倍だが、1無量大数の苦しみを受ける確率は、直感的に、1不可思議の苦しみを受ける確率の1/2か1/10程度に思えてくる。どちらもほとんど起こりえないことだが、あまりにも起こりにくいことのために、どちらも同じ程度に確率が低い、ということだ。

 
 仮に有限の限りなく大きな苦しみが起こるとするならば、その苦しみは特殊なものであるだけに、これまでとは違った形での苦しみとなるはずだ。例えば、私たちが普通に想像するような、病気での苦しみや思い悩む苦しみ、といったものとは違うということだ。 そのため、起こる確率は極めて低いが、もし起こるならば、非常に大きな苦しみも、それよりさらに大きな苦しみも、同じ程度に起こり得ると考えられる。このような大きな苦しみは、起こることがほとんど想定されないようなことだからこそ、かえって、起こるときにはいくらでも大きな苦しみが起こりうるということだ。

 
 例えば、ある遠い星にいる宇宙人が人間の味わう苦しみを自由にコントロールできるようになったとする。宇宙人がある特殊な機械に数値を入力すると、それだけの大きさの苦しみを人間が受けることになるのだ。このとき、宇宙人は「10の64乗」と入力するかもしれないが、同じくらいの確率で「10の68乗」と入力するかもしれない。少なくとも10の68乗と入力する確率が10の64乗と入力する確率の1/10000より大きいことは確実だ。

 
 こうした話を前提にすると、Xの値が大きくなるほどにはPの値は小さくならないので、Xの値が大きくなればなるほど、Aの値も大きくなる、と言える。 

 
 1那由他(10の60乗)よりも1不可思議、1不可思議よりも1無量大数の方がAの値が大きく、より深刻な問題であると言える。これがどこまでも続くとすると、Aの値も果てしなく大きくなってしまうのだ。Xが1兆程度であれば、通常の苦しみと比べてAの値は十分小さいかもしれないが、Xが大きくなれば、やがてAの値は無視できないほど大きくなる。さらにそれがどこまでも続くのだ。

 
 また、仮にそうした有限の限りなく大きな苦しみのAの値が、日常的に受ける通常の苦しみのAの値と比べて小さかったとしても、苦しみのリスクの大きさを考慮すると、依然としてその限りなく大きな苦しみが問題となる場合もあるだろう。


 いずれにしても、有限の限りなく大きな苦しみというのは、無限の苦しみを除けば、現に問題となっているような他のどんな苦しみよりも考慮に入れなければならないほど重大なことなのかもしれない。